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大阪地方裁判所 昭和45年(ワ)6218号 判決 1975年3月26日

原告

山口喜美子

外二名

右原告三名訴訟代理人

中田明男

外二名

被告

森本道子

右訴訟代理人

前川信夫

主文

一  原告のら各請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、それぞれ金五三五万四、八四五円、および右各金員に対する昭和四五年一二月一三日以降各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  この判決は仮に執行することができる。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一、請求原因

1  訴外山口弘が死亡するに至つた経緯

(一) 原告山口喜美子(以下「喜美子」と略称する)は昭和四五年一月二八日午前一一時前被告医院を訪れ訴外山口弘(以下「弘」と略称する)が39.8度の高熱を出していることを告げて被告の往診と治療を求めたが、被告は、原告喜美子に直接会うて患者の年令、性別、症状等について聞くことすらせず、被告方使用人訴外片岡初子にアセトアミノフエン二包(商品名山之内製薬株式会社のピリナジン、なお一包は0.5グラム)を調剤させ、右薬剤を弘に服用させるように指示した。

(二) 弘は、同日午前一一時頃右アセトアミノフエン一包を服用したところ、一時間後体温が三六度にまで下り、更に一時間経過後手足がしびれ足が冷たく足の裏も少し赤くなり、午後二時頃には身体全体にわたつて赤紫色の斑点ができてチアノーゼ現象を示した。

(三) そこで、原告喜美子は、弘の容態の急変を被告方に電話で知らせたが、その時被告は不在であつたので、片岡初子に来てもらつて弘の異常なる容態を示したところ、同女は被告に連絡することを約して帰つたまま、その後被告方から何の連絡もなかつた。

(四) そこで、原告喜美子はやむをえず救急車を使用して弘を大阪逓信病院に入院させたが、同病院での治療のかいもなく、弘は同日午後八時三五分に死亡した。

2  弘の死亡と被告の行為との間には、次のとおり因果関係が存在する。

(一) アセトアミノフエンの投与と弘の死亡との因果関係

(1) 弘は、被告が投与したアセトアミノフエンを服用した結果、体内にメトヘモグロビンが生じて酸素欠乏状態になり、そのため組織が破壊されて心臓・循環器系統・神経系統・肺などが機能障害を受けて回復不能となり、その結果弘は死亡したのである。

(2) なお、仮に、もとから弘に敗血症の病気が存したとしても、被告が右機能障害のある組織にさらにアセトアミノフエンの投与という医療侵襲を加えたため、弘は死亡するに至つたのである。

(3) なお、仮にアセトアミノフエンの投与が弘の死亡と因果関係がないとしても、アセトアミノフエンの投与が少なくとも弘の病状を増悪し死亡時期を早めたことは明らかである。

(二) 被告の無診察治療行為と弘の死亡との因果関係

仮に、アセトアミノフエンの服用が弘の死亡に直接の原因でなかつたとしても、被告が弘の診察さえしておれば、弘は死亡しなかつたのである。

即ち、被告は、従前弘を診察・治療したことが一度もなかつたのにもかゝわらず、当日、原告喜美子から往診の依頼を受けて、患者の年令・性別・病状等も聞かずに、弘が昨夜から39.8度の高熱が続き頭痛を訴えていると聞き、その頃流感が流行していたこともあつて風邪だと速断し、弘にアセトアミノフエンを投与したのである。けれども、もし被告が弘に対して通常の医学水準である問診・打診・触診、視診等による診察さえしておれば、右の高熱が弘の肝臓が腫れていて急性肝炎によるものであることが判明し、それに基づいて同人の病状にあつた治療が可能であつたはずであり、弘が死亡するようなことはなかつたのである。

(三) 他の医師による診察・治療の機会の喪失と弘の死亡との因果関係

被告が弘に対して無診察による薬剤の投与といつた不完全な治療をせず、はつきりと診察、治療を拒否していれば、弘においても他の医師による診察・治療を受ける機会を与えられたのであり、特に異常な症状が現出する以前である午前一一時の時点において適切な治療を受けておれば、死の結果は免れたのである。

(四) 異常発生後の被告の処置と弘の死亡との因果関係

被告が弘に異常事態が発生したとの報告を受けた後適切なる処置をとつておれば、弘は死亡しなかつた。

即ち、被告は、弘にどのような薬剤を与えたのかを一番よく知つているのだから、片岡初子より弘の異常事態を知らされた後、真先に治療にあたるなり事情を説明して他の医師・救急車の手配等にあたつていたならば、弘は、少なくとも二時間早く治療を受けることができ、そうすれば生命迄失うという結果にはならなかつたのである。

3  被告の帰責原因

(一) 被告は、原告喜美子より弘のために往診・治療の依頼を受けた時点において、患者の症状を診断し治療すべき債務を負うたものであり、右診断は、通常患者の家族歴・既往症・現在の病状の始まり方およびこれと関連ある事柄について問診し、ついで、打診・触診・視診・各種の臨床検査に至る各所見を総合してなされるべきものであり、右診断に基いて、各種治療行為がなされなければならない。また、被告は、医師として患者を自ら診察した上で治療をなすべき業務上の注意義務があつた(医師法第二〇条参照)。しかるに、被告は、原告喜美子より弘が39.8度の高熱を発していることを聞いただけで、何らの診断もせずに直ちに風邪と判断して、弘にアセトアミノフエンを投与し単に解熱の処置をとるにとどまつた。

(二) また、被告は、弘に薬剤を投与した本人として、同人の異常事態の発生を知るや直ちに治療にかけつけるべきであり、瞬間を要するのであれば、その間自らが他の医師に事情を説明して治療を依頼すべきであつたのに、右のような処置は全く講ぜず同人が死亡するまで患者に対する治療行為を放置していたのである。

(三) 従つて、被告は、弘との間の医療契約に基づく不完全履行責任を免れず、また医師としての注意義務違反を理由とする不法行為責任を免れない。

4  原告らの損害額

(一) 弘は、死亡当時、此花郵便局郵便課に郵政事務官として勤務し、一年間に金一二六万四、三一〇円の収入を得ていたが、死亡によつて金一、九五九万六、八〇五円の得べかりし収入を失つた。

・死亡時の年令三九才、就労可能年数二四年、ホフマン式計算による係数15.5

・1,264,310×15.5=19,596,805

(二) 弘が右逸失利益金一、九五九万六、八〇五円を取得するために必要な生活費は三分の一と推定されるので、金六五三万二、二六八円を控除すると金一、三〇六万四五三七円となる。

・19,596,805−6,332,268=13,064,537

(三) 弘は死亡当時三九才で、妻と一四才・一二才の子供二人の平和な家庭を営んでおり、これから社会的にも家庭的にも最も充実した生活を送ろうとしていたものであり、本件死亡による精神的苦痛を慰籍するには金三〇〇万円が相当である。

(四) 原告喜美子は妻として、同明美・同均は子供として、昭和四五年一月二八日、弘の死亡により前記損害賠償債権合計金一、六〇六万四、五三七円の三分の一である金五三五万四、八四五円づつ相続した。

5  よつて、原告ら三名は、被告に対して、それぞれ金五三五万四、八四五円、および右各金員に対する本訴状送達の日の翌日である昭和四五年一二月一三日より支払済みに至るまで年五分の割合による金員の支払を求める。

二、請求原因に対する認否

1  請求原因1の(一)記載の事実は認める。なお、原告喜美子は、同日午前一一時頃被告方を訪れ、弘が三九度以上の高熱を出している旨告げたのである。

2  同1の(二)記載の事実は知らない。

3  同1の(三)記載の事実中、片岡初子が原告にその後何の連絡もしなかつたことは否認し、その余の事実は認める。

4  同1の(四)記載の事実は認める。

5  同2の(一)記載の事実は否認する。

そもそも、アセトアミノフエンは、全然副作用を伴なわない安全な解熱・鎮痛剤として今日まで医家一般に広く使用されてきたのであり、弘の死はアセトアミノフエンの服用とは全然関係がなく、既に進行していた漫性胆のう炎および膿性胆汁貯溜を発原巣とする急性ないし亜急性肝炎、ならびにそれに続発する初期敗血症に基づく心臓衰弱によるのである。即ち、解熱・鎮痛剤として久しく使用されてきたフエナセチンやアセトアニリドは、研究の結果、内服後体内で大部分アセトアミノフエンに変化し、これが解熱・鎮痛作用をもたらすこと、他方これらの薬品は代謝産物として別にアニリン誘導体を生じ、これらが極く稀に起こる現象であるメトヘモグロビン形成の因をなすことが解明された。そこで、このような薬理学的成果に基づき、アセトアメノフエンそのものが解熱・鎮痛剤として登場したのである。そして、事実、アセトアミノフエンは今日まで医家一般に継続的に使用されてきたが、現在に至るまでその副作用殊にメトヘモグロビン形成が問題となつたような報告例は皆無であり、その安全性については高度の信頼が寄せられていたのである。

6  同2の(二)ないし(四)記載の事実は否認する。

7  同3の(一)記載の事実は否認する。

被告には診療義務を放棄したといわれるような事実は全くないのであつて、ただ往診を求められた際、直ちにこれに応ずることが許されない状態にあつたのでその旨原告喜美子に説明し意見を聞いたところ、用件が済み次第で結構であるとの応答であつたので、後刻往診を約束したまでであり、それまで医師として患者を高熱のまま放置しえないので応急処置として副作用のない解熱剤とされているピリナジンを与えたのであつて、被告のとつた処置は医師としての常識にかなつたものであり非難さるべき点はない。

なお、弘のように四〇度近い高熱のある患者に対しては、仮に肝炎の症状ある場合であつても、一応、解熱剤を与えて熱を引き下げる対症療法にとりかかるのが臨床医として通常とるべき態度であり、さもなければ、肝炎そのものが更に進行するのである。従つて、仮に被告が現実に弘を診察し、その結果、肝臓肥大程度の事実が判明していたとしても、被告のみならず一般開業医としても、やはり同様に解熱剤を投与するという処置をとつていたはずであ。

8  同3の(二)記載の事実は否認する。

被告は、異常事態の発生を知つた後、直ちに電話で片岡初子を通じて他医を手配するよう指示するとともに、間に合わない場合は救急車を呼ぶよう原告喜美子に連絡しているのである。しかるに、原告喜美子は、午後三時頃片岡初子から救急車を呼ぶように指示されながら指示に従わず、午後三時四五分になつてから救急車を呼んでいるのであつて、逓信病院の治療を受けるのが遅れたのは、むしろ原告喜美子に責任があるといわなければならない。

9  同4記載の事実中、弘の死亡当時の職業・年令・家族構成に関する主張は認めるが、その余の事実は知らない。なお、慰籍料額に関する主張に争う。

第三  証拠<略>

理由

一弘が死するに至つた経緯について

原告喜美子が昭和四五年一月二八日午前一一時頃被告医院を訪れ、夫の弘が三九度以上の高熱を出していることを告げて被告の往診と治療を求めたところ、被告は、患者の年令・性別・症状等について聞くことなく、片岡初子にアセトアミノフエン二包(ピリナジン、一包0.5グラム)を調剤させてこれを患者に服用させるよう指示したこと、弘の容態の急変後、原告喜美子が被告方にその旨を電話で知らせたが、被告が不在であつたので片岡初子に来てもらつて弘の異常なる容態を示したところ、同女は被告に連絡することを約して帰つたこと、原告喜美子が救急車を使用して弘を大阪逓信病院に入院させたが、同病院での治療の効なく、弘が同日午後八時三五分に死亡したことは、いずれも当事者間に争がない。

そうして<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。弘は、生前此花郵便局に勤務していたが、死亡した日の前日である昭和四五年一月二七日午後九時頃右勤務を済ませて帰宅し、疲れた様子で床についたところ、翌二八日の朝三九度以上もの高熱を出したので原告喜美子は歩いて五分以内の距離にある被告医院を訪れ、前記のとおり往診と治療を求めたのであるが、そのとき被告は外来患者の診療中で、なお五・六名の患者を待たせており、通常午前中の診察を終えるのが午後一時から一時半頃までになることでもあり、しかも、当日午後二時より夕方まで大阪府医師会に出席する予定があつたので、片岡を通じて原告喜美子に対して右事情を伝え、夕方からの往診でもよいかどうかをただしたところ、原告喜美子は夕方からの往診でもよいと答えたので、被告はこれを応諾した。ところで、被告としては、夕方まで患者を高熱のまま放置しておくことは適切でなく、その頃流感がはやつていることから弘の発熱もたぶん風邪によるものだろうと判断し、これまで弘を診察・治療したことが一度もなく同人とは一面識もない間柄ではあつたが、それまでの応急措置として解熱剤を弘に投与するのが相当と考え、片岡初子を通じて原告喜美子に対し、弘が従来風邪薬を服用しても異常がなかつたことを確め、前記のとおリピリナジンを調剤させ、投与させるように指示して、原告喜美子に渡した。原告喜美子は、帰宅後直ちに(午前一一時三〇分頃)右ピリナジン一包を弘に服用させたところ、約一時間後に弘の体温は三六度にまで下つたが、弘は胸痛を訴え、更に午後一時半頃悪寒を訴え、弘の両足裏側が異常に透き通つているようで、その皮膚の奥が赤く見えるようになり、顔色が次第にどす黒くなつて、顔全体の毛穴が藤色にかわつてきたので、原告喜美子は午後三時頃前記のとおり被告医院に弘の容態の急変を知らせ、これを聞いた片岡初子は医師会にいた被告にその旨報告したところ、被告より「もしそうなら普通の状態ではないので、近くの医師に往診してもらうか、救急車を呼んで病院へ連れていくように」指示を受けたので、原告宅へ行き弘の様子をみたところ、弘の顔色は紫色がかつた斑点が出ていることを知り、被告の言葉を伝えたが、他の医師を探すよう求められ、再び被告医院へ戻つて他の医師の往診を求めようとして電話で照会してみたが、往診を得られないまま、再び原告喜美子より弘の様子がおかしいといつてきたので、同原告に対して救急車を呼んで弘を病院へ連れて行くよう指示し、弘は午後六時過ぎ救急車で大阪逓信病院へ運ばれて、同病院内科医であつた訴外大内武(以下「大内医師」と略称する)の診察・治療を受けることになつた。入院時、弘の症状は、一見して全身真黒でチョコレート色が皮膚に限らず粘膜部分にまで及び、呼吸は浅くて速くて胸痛を訴え、血圧は殆んど測定不能位まで下つていて、高度のショック状態を呈して心音も聞き取れない状態で、毛細血管の破傷等の血管障害がみられた。大内医師は、右症状をみたうえ、弘がアセトアミノフエンを服用していたことを聞いて、弘の身体にはメトヘモグロビンが存在すると診断して、ショック症状に対しては、昇圧性アミンと合成副腎皮質ホルモン剤を投与し、輸血と輸液を施し、メトヘモグロビン血症に対しては、メトヘモグロビンを還元して通常のオキシヘモグロビンに変える作用を有するアスコルビン酸とグルタチオンを大量に投与し、呼吸困難に対しては、気管を切開したうえレスピレーター(人工的呼吸装置)を使つて酸素吸入の処置を施した結果、弘の容態は一時持ち直し、血圧も一一〇位いに回復して皮膚の色もチョコレート色が薄くなつて紫斑点状になつたが、結局心臓・肝臓の機能は回復するに至らず、前記のとおり、弘は、同日午後八時三五分大阪逓信病院で死亡した。以上認定事実に反する証拠はない。

二弘の死亡とアセトアミノフエンの投与との因果関係について

1  <証拠>によれば、大内医師は、弘が、アセトアミノフエンを服用した結果体内にメトヘモグロビンが生じて酸素欠乏症状に陥り、体内の諸臓器の細胞組織が破壊されてそれぞれの機能が果せなくなり、回復不能となつて死亡したものであると断定していることことが認められる。ところが一方、<証拠>によれば、弘死亡後、その遺体は、大阪大学医学部教授で法医学専攻の松倉豊治教授(以下「松倉教授」と略称する)によつて解剖に付された結果、外面的に観察すれば、顔面・左右肩部・上腕・大腿部等に紫斑点があり一部発疹がみられる程度であつたが、内部的には殆んど内臓全般にわたつて変性をきたし、胆のうは通常人の五、六倍に腫れあがつて慢性胆のう炎の所見を伴ない、その中には胆石があつて肺炎球菌で構成された膿を含んだ肝汁がいつぱい詰つていたこと、肝臓はかなり腫れていて急性肝炎の症状を呈していたうえ細胞組織の一部が崩壊して細胞がなくなつていたこと、心臓は通常人の二倍位いに肥大していて心筋の細胞が崩壊していたこと、腎臓は皮質全般に浮腫がみられ曲細尿管部分の細胞質が混濁または崩壊していたこと、肺臓は浮腫が多く一部では肺炎の傾向がみられたこと、脾臓はうつ血して一部で小出血を起こしていたこと、副腎は皮質・髄質ともに諸諸に細胞崩壊をきたしていたことが判明し、また、右遺体からはメトヘモグロビンは検出されなかつたので、以上のような解剖結果から、松倉教授は、弘の死因は、アセトミノフエンの服用とは関係なく、同人が相当以前から慢性胆のう炎に罹患していて、胆のう内に肺炎双球菌による膿を含んだ胆汁を貯め、右胆汁が肝臓へ及んで弘の死亡日より二、三日前頃に急性または悪急性肝炎を惹起し、さらに血液の循環に伴つて右菌が全身に運ばれ、心臓・肺臓・腎臓等の諸臓器の細胞組織が崩壊して退行変性をきたし、結局弘は初期敗血症に基づく心臓衰弱により死亡するに至つたものであり、弘のチアノーゼ症状については、敗血症に因るもので、仮にアセトアミノフエン服用の結果のメトヘモグロビン形成に因るものとしても、解剖時にメトヘモグロビンが検出されなかつたことから、メトヘモグロビンの存在が弘の死に特別の影響を与えたものでないと判断していることが認められる。

2  そこで、まず、アセトアミノフエンの副作用としてメトヘモグロビン形成がみられるかどうかについて判断するに、<証拠>によれば、次の事実が認められる。

(一)  古くから解熱鎮痛剤として使用されていたアセトアニリドおよびフエナセチンについて最近になつて解明されたその代謝機構によれば、これらの薬品のいずれもが内服後体内で大部分アセトアミノフエンに変化し、その結果解熱・鎮痛作用を示すに至ること、他方これらの薬品は代謝産物として別にアニリン誘導体を生じ、これらが稀に起る副作用であるメトヘモグロビン形成の因をなすことが明らかとなり、このような薬理学的成果に基づきアセトアミノフエンそのものが解熱・鎮痛剤として登場し、わが国でも山之内製薬株式会社が昭和三三年よりピリナジンという名称でアセトアミノフエンの販売を始めた。

(二)  ところで、このアセトアミノフエンは、体内に入ると肝臓でグルクロナイド結合を行ない、一般の抱合解毒の経路をとつて尿に排泄されるので、アニリン遊導体を生ずることがなく、メトヘモログビン形成の副作用を伴なわない解熱鎮痛剤として現在広く使用されており、山之内製薬株式会社がピリナジンを売り出して以来、アセトアミノフエンの服用によるメトヘモグロビン形成の副作用が問題となつた事例は、少なくとも日本においては本件を除いて一件もなかつた。

(三)  ところが、最近になつて、外国においてアセトアミノフエンの服用による副作用についての研究報告が提供されるようになり、そのうち血液に対する副作用としてメトヘモグロビン形成について、極めて稀な事例として死亡例も報告されたこともあつて、アセトアミノフエンは、前記のとおり、生体内では肝臓でグルクロナイド結合して体外へ排斥されるのが通常の代謝経路であるが、もう一つの小さな経路として、アセトアミノフエンが生体内で脱アセチル化を受け、生じたパラハイドロオキシアニリン(別名、パラアミノフエノール)によるメトヘモグロビン形成がなされることもあり得て、殊に個体側に異常な環境、例えばメトヘモグロビンをヘモグロビンに還元する酵素が生来欠陥しているというような異常性や、薬物代謝の不全等があるような場合には、メトヘモグロビン形成による副作用の症状を呈することもありうるのではなかろうかと、一部の医学者の間で考えられるようになつた。

以上の事実が認められる。なお、証人永井清保の証言中に、アセトアミノフエン服用によるメトヘモグロビン形成は、代謝マツプ(化学反応)上ならば考えられるが、それは生体内の代謝の流れとは逆行しているので、生体内でこれがあてはまるかどうかは疑問である旨の供述があるが、同証言によれば、同証人は遺伝的に存在するメトヘモグロビン血症について専門的に研究している血液学者であつて、薬剤の毒性等について専門的に研究している薬理学者ではないことが認められ、これに対し、証人大内武の証言によれば、同証人は薬理学者であり、アセトアミノフエン服用によるメトヘモグロビンの形成に関する外国の論文を読んだうえで前記甲第三号証を作成したことが認められるので、これらの事実に照らして、証人永井清保の前記供述部分により、アセトアミノフエン服用の結果生体内におけるメトヘモグロビン形成を全く否定し得るものとは考えられず、他に右認定に反する証拠はない。

3  そこで、次に、弘の死亡原因について考えてみるに、大内医師は内科医として弘の診察・治療に携わり、外面的な臨床的所見から弘の死亡原因について判断しているのに対して、松倉教授は弘の司法解剖に直接携わり、解剖結果から弘の死亡原因を判断していることが明らかであり、このことから、松倉教授の判断の方がより直截的であつて、前記認定事実のとおり、解剖時には弘の体内にメトヘモグロビンが存在しなかつたこと、アセトアミノフエンは一般的にはメトヘモグロビン形成の副作用を伴なわない解熱・鎮痛剤として知られていることに鑑みれば、松倉教授の判断するように、弘の場合、慢性胆のう炎・膿性胆汁貯溜・肺炎の症状とメトヘモグロビン存在による酸素欠乏症とは全く関係がなく、弘の諸臓器の細胞の組織崩壊は、敗血症等の有菌性の退行変性によるものと解せられ、弘の死因は初期敗血症に基づく心臓衰弱が原因であり、アセトアミノフエンの服用とは関係がないのではないかと思料される。

4  けれども、証人大内武の証言によれば、解剖の結果弘の体内からメトヘモグロビンが検出されなかつたのは、大内医師がメトヘモグロビンを還元するため大量のアスコルビン酸とグルタチオンを投与した治療の成果があつたものではないかと窺われ、前記認定のとおり、弘は、アセトアミノフエン服用後約二時間あまりしてチアノーゼ現象が生じ、約六時間後には呼吸困難なうえ血圧が殆んど測定不能位まで下つて心音も聞き取れない状態になり、約九時間後には心臓衰弱のために死亡してしまつたこと、大内医師がメトヘモグロビン還元のための治療を施したところ、それまでチヨコレート色だつた弘の皮膚の色がやや薄らいだこと、アセトアミノフエンといえどもメトヘモグロビン形成の副作用が絶無とまではいえないこと、弘は、アセトアミノフエンの服用当時、慢性胆のう炎および膿性胆汁貯溜を発原巣とする急性ないし悪急性肝炎に陥つていたところヘピリナジンを0.5グラム服用したこと(前掲乙第二号証によれば、ピリナジンの成人の一回の服用量は0.25グラムないし0.33グラムと定められていることが認められる)を考慮すれば、弘の肝臓は抱合解毒作用が極めて衰えていたので、ピリナジン0.5グラムの服用によつて脱アセチル化によるメトヘモグロビンが生じやすい環境にあつたものといえるのであつて、前記証人大内武の証言中、弘は、アセトアミノフエン服用の結果体内にメトヘモグロビンが形成されて酸素欠乏状態に陥り、その結果体内の諸臓器の細胞組織が破壊されてそれぞれの機能が果せなくなり、回復不能となつて死亡したとの断定も直ちに排斥できないところであり、また、証人松倉豊治の証言によるも、たとえ、弘がアセトアミノフエンの服用当時既に敗血症の症状を呈していたとしても、アセトアミノフエン服用の結果体内にメトヘモグロビンが形成されて酸素欠乏状態に陥り、諸臓器の組織破壊が更に促進されたということも認められないでもないところである。

5  結局、弘の死亡が、初期敗血症に基づく心臓衰弱によるものであり、アセトアミノフエンの服用とは全く関係がないと断定することは困難であつて、アセトアミノフエン服用によるメトヘモグロビン形成による可能性もないわけではなく、更に、仮に弘が敗血症に陥つていたとしても、アセトアミノフエンの服用によつて体内に発生したメトヘモグロビンの存在が死の結果に対して何らかの影響を与えたことも考えらないではないので、アセトアミノフエンの投与と弘の死の結果との間には因果関係がないとまでは明確に断言できない。

三被告のアセトアミノフエンの投与と帰責原因について

1  原告らは、被告は原告喜美子より弘のために往診・治療の依頼を受けた時点において、弘の症状等を問診し、ついで、打診・触診・視診等を加えて弘の症状を診断して、これに基いて治療行為がなされなければならず、また医師として患者を自ら診察した上で治療をすべき業務上の注意義務があるにも拘わらず、原告喜美子より弘が三九度以上もの高熱を発していることを聞いただけで、何らの診断もせずに直ちに風邪と判断して弘にアセトアミノフエンを投与した点に過失があり、被告の右アセトアミノフエンの投与行為は、被告と弘との間の医療契約上の不完全履行行為であり、また医師としての注意義務に違反した不法行為であると主張する。

2  思うに、前記一の認定事実のもとでは、被告が原告喜美子に対して弘の往診を約束し解熱剤としてピリナジンを服用するよう指示した時点において、被告と弘との間には、原告喜美子を通じて医療契約関係が発生したものといわなければならないが、医師が右医療契約に基づいて負うべき債務の主な内容は、診察とその結果としての病気の診断および治療行為であるが、そのためには、一応当時の医学界において通常一般に認められている医学常識に従い良心的裁量に従つて医療行為をなすべき義務をいうものと解すべく、また、医師が医学知識に従つて診療を行なわなければならない以上、医療行為をなした医師の不法行為上の過失の有無を判断する前提としての注意義務の程度は、行為当時の通常の医師における医学水準が一般的な基準としてとりあげられるべきである。そして、右いずれの場合においても、本件のように開業医の医療過誤が問題となつている事案では、医師に要求される知識は一般開業医としての臨床医学をさし、右医学理論は、種々の医学的実験を経た後臨床医の間で普遍的なものとして是認・支持されたものでなければならず、一部の特殊分野における専門家のみが所有し未だ医学界全体の共有財産になつていない医学知識を基準とすることは相当ではないと解すべきである。

3  このような観点から、被告がアセトアミノフエンの服用を指示したことについて考えてみるに、前記認定のように、アセトアミノフエンは、メトヘモグロビン形成の副作用を伴なわない安全な解熱・鎮痛剤として今日まで医家一般に広く使用されてきたのであり、山之内製薬株式会社によつて昭和三三年から発売されたピリナジンも、今日に至るまでメトヘモグロビン形成が問題となつた事例は皆無であり(乙第三号証によれば、その能書にも、副作用殊にメトヘモグロビン形成が全くみられない旨記載されていることが認められる)、ただ、外国の医学雑誌に、稀な事例として、アセトアミノフエン服用によるメトヘモグロビン形成が発表され、死亡例も報告されていて、一部学者の間でその理論的経路が考えられるようになつたことが明らかであるが、かかるメトヘモグロビン形成についての知識は一部の法医学ないし薬理学専攻者の特殊専門的な知識であつて、一般臨床医の医学常識ということはできない。また、証人松倉豊治の証言中には、肝臓障害のある者にアセトアミノフエンを投与するのは相当でない旨の供述があるけれども、一方、証人永井清保の証言によれば、臨床医の立場からすれば、肝臓障害のある者でも、高熱を発している者には、先ず解熱剤を与えて熱を引き下げ、それから対症療法にとりかかるのが臨床医として通常とるべき態度であることが認められ、原告が、一般開業医として、高熟を訴える患者に対しとりあえず一般的には副作用がないとされているアセトアミノフエンの服用を指示したとしても、無理からぬところである。

4  ところで、被告が原告喜美子より弘が三九度以上もの高熱を発していることを聞いただけで、自ら弘を診察することなく、直ちに風邪と判断して、解熱剤の投薬を指示したことは、前記認定のとおりであつて、右処置は医師法第二〇条の無診察治療行為禁止の規定との関係でいささか問題がないわけではないが、右規定に反したとしても直ちに過失が認められるわけではなく、医療行為にあたる際に医師に要求されている一般的注意義務を考える際の一つの判断基準となりうるに過ぎないものと解すべきところ、さきに述べたように、たとえ被告が弘を診察して同人に肝臓障害のあることを発見していたとしても、アセトアミノフエンを投与することが、一応臨床医の間において通常一般に認められている医学常識に従つた医療行為であることに鑑みれば、被告が弘を自ら診察しないで解熱のためにアセトアミノフエンを投与したことをもつて、被告に過失があつたものとは解せられない。してみれば、被告の弘に対するアセトアミノフエンの投薬行為そのものは、医療契約上の不完全履行ないし医師としての注意義務に違反した不法行為とはいえないであろう。

四被告の無診察治療行為と弘の死亡との因果関係について

原告らは、もし被告が弘に対して問診・打診・触診。視診等による診察さえしておけば、弘の肝臓が腫れていて急性肝炎による熱であることが判明し、それに基づいて同人の病状に合つた治療が可能であつたはずであり、また被告が無診察による薬剤の投与といつた不完全な治療をせず、はつきりと診察・治療を拒否しておれば、弘は他の医師による診察・治療を受ける機会を与えられたのであり、死の結果は免れたと主張する。

けれども、もし被告や他の開業医が直接弘を診察していたとしても、前記認定事実によれば、弘にアセトアミノフエンを投与する可能性は極めて大であるのみならず、仮に弘が当時既に敗血症に陥つていたとしても、前記認定のとおり弘の右病状は極めて悪化していたものというべく、被告や他の一般の開業医が右診察によつて弘の敗血症に気づき、病状に合つた適切な治療をすることによつて弘の死の結果を回避していたであろうことまでは、到底認めることができない。

よつて、被告の無診察治療行為と弘の死の結果との間にも、相当因果関係を認めることができない。

五異常発生後の被告の処置と弘の死亡との因果関係について

原告らは、被告が弘に異常事態が発生したとの報告を受けてから適切な処置をとつておれば、弘は死亡しなかつたと主張する。

けれども、前記一の弘が死に至つた経緯より考えて、被告が弘に異常事態が発生したとの報告を受けた午後三時の時点では、たとえ、被告において、真先に治療にあたるなり、事情を説明して他の医師・救急車の手配にあたる等適切なる処置をとつていたとしても、果して回復の余地があつたものかどうか疑わしく、異常発生後の被告の処置と弘の死亡との間にも相当因果関係は認められない。

六結論

以上の認定・判断したところによれば、原告らの被告に対する各請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないので棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条・第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(中村捷三 古川正孝 紙浦健二)

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